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もう11年以上も前のことなのですが、とてもすばらしい航空祭が北海道で開催されました。ZAKKUNにとって、今でも鮮明に記憶に残る、思い出の航空祭です。
1995年(平成7年)7月29日と30日の両日、北海道鹿部町の「エアフライトジャパン鹿部飛行場」において、「1st RED BARON AIR SHOW」という航空祭が開催されました。この航空祭、何がすばらしかったかと言うと、本物の「三菱零式艦上戦闘機」と「ノースアメリカン P−51 マスタング」が公開され、かつ、これらのフライトがメインイベントになっていたところです。飛行機が好きな人間にとっては、聞いただけでも体が震えちゃうのではないでしょうか? たぶん、あんな機会は一生に2度あるかないかだと思います。
鹿部町は、札幌市から函館市に向かう途中にあるまちで、「駒ヶ岳」という活火山の麓にあります。ZAKKUNの家からは遠いので、7月29日(土)のみ現地へ出かけることにしました。当日、ZAKKUNは朝5時に家を出発、4時間半程度で鹿部飛行場に着きました。
三菱零式艦上戦闘機52型(A6M5) <Mitsubishi A6M5 TYPE ZERO CARRIER FIGHTER Model 52 (ZEKE)> (以下「零戦」と記します。)です。「ゼロ戦」という通称で有名な旧日本海軍の戦闘機です。零戦は、第二次世界大戦を一貫して使用されたため、日本のその時々の戦況が20種類以上の各型に反映されています。この航空祭で観せてもらえた写真の「52型」は、初期の「21型」や「22型」の発展型で、零戦としての性能を最大限に発揮できた機体と言えます。この「52型」以降のモデルは、日本の戦況悪化をもろに反映したアンバランスな機体になって行ったのです。写真は、鹿部飛行場を軽々と離陸する零戦。バックは駒ヶ岳です。
零戦52型の最高速度は、高度6,000mで時速565kmとされており、これは零戦各型の中でも一番の快速です。零戦は、その系列を合計すると、10,815機程度が生産されたとされています。また、旋回性能が良かった(一部の型には、そうではないものもあったようです。)ため、連合国軍から恐れられていたという話も本などで目にします。アメリカ軍からは「ゼロ」または「ジーク」と呼ばれていたようです。写真は、駒ヶ岳を背に右旋回する零戦です。
この写真は、ノースアメリカン P−51D マスタング <NORTH AMERICAN P-51D MUSTANG> (以下「P−51」と記します。)です。第二次世界大戦中に開発された戦闘機の中で、性能、実績ともに最優秀と評価されているアメリカ陸軍の戦闘機です。P−51も多くの型が存在しましたが、この「D型」の登場がP−51の評価につながっていると言われています。朝鮮戦争でも使用され、ジェット戦闘機が実戦配備されるまで第一線で活躍しました。写真は、航空祭の会場を低空でフライパスするP−51です。
P−51Dの最高速度は高度7,620mで時速703kmとされています。P−51の中では「H型」が時速784kmという、レシプロ機(ピストンエンジンでプロペラを回して飛ぶ飛行機のことです。)では驚異的な高速性能を持っていました。P−51は、各型で合計15,686機が生産されたようですが、現在でも世界で150機程度が飛行可能な状態で保存され、これは現存する“第二次大戦機”の中では最多だと思われます。写真は、鹿部飛行場の駐機場で翼を休めるP−51。
P−51が150機程度も飛行可能な状態で保存されているのに対し、敗戦国である日本の旧軍機は戦後ことごとく破壊されたため、現存するのはごく少数です。そのわずかな機体のうち、飛行可能なものはこの零戦を含め、ほんの数機…。写真は、編隊を組んで航空祭の会場をフライパスする零戦とP−51。こんな光景を実際に目にすることができて、本当に感激したのを鮮明に覚えています。また観たいなぁ〜。アメリカまで観に行かない限り、もう日本では機会はないかもしれません。
2機は当時、アメリカの博物館「プレーンズ・オブ・フェイム」が所有していたものでした。それを「株式会社レッドバロン」さんが中心になって日本まで輸送し、北海道で航空祭を実現してくれたのでした。他に、北海道の「豊頃飛行場」と茨城県の「龍ヶ崎飛行場」でも同様の航空祭が開催されたそうで、ご訪問いただいている方のなかにも、観に行かれた方がいらっしゃるかもしれませんね。聞いた話によると、2機を日本に持ってくるだけでも手続きがすごくたいへんだったそうです。民間会社が“戦闘機を輸入する”となると、そりゃたいへんなことだと想像できます。戦闘機と言っても、第二次世界大戦のときのものですし、もちろん武装もしていないわけですが…。画像は、当時のチケットのコピーです。たしか、入場料は前売りで2,500円くらいだったと思います。
「株式会社レッドバロン」さんがその後どうなったのかは、よく分かりません。「倒産した」との情報もありますが、だとしたらとても残念です。この目で、零戦とP−51を観せてくれたレッドバロン社に、心から感謝しております。
テーマ:航空機
- ジャンル:写真
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